from1987

一口馬主やPOG、レース予想など競馬の話題を中心に、自由気ままに綴ります。なお、一口馬主関連の記事はシルクホースクラブのHPに掲載されている情報であり、転載の許可を得ています。

有馬記念といえば

一年の締め括り、このレースを最後に引退する馬も多く、それだけに感動的なドラマも多く生まれているように思います。サクラスターオーの悲劇、トウカイテイオーの復活V、グラスワンダーvsスペシャルウィークの名勝負、ディープインパクトのまさかの敗戦など、枚挙にいとまがありません。その中で1990年、オグリキャップ感動のラストランとなった有馬記念を取り上げたいと思います。

武豊との初コンビで迎えた6歳(旧表記)初戦の安田記念。当時としては驚異的な1分32台をマークし、健在ぶりをアピールして見せました。少しの不安な気持ちを乗り越えて、強いオグリが帰ってきた、そう思ってました。ところが続く宝塚記念での不甲斐ない2着を前兆として、天皇賞・秋ジャパンCと信じられないような惨敗が続きました。燃え尽きてしまったかのような走りの連続に新聞の見出しも『どうしたオグリ!?』から『オグリは終わった』に変わっていきました。当時の新聞がまだうちの実家に取ってあるはずなんですが、天皇賞からジャパンC有馬記念へと進むにつれて、オグリキャップにつく新聞の印も薄くなっていったと思います。

そんなこんなで迎えた有馬記念武豊と2度目のコンビ。4番人気ではありましたが、そのほとんどは応援馬券、記念馬券で、本当に勝つと思って買った人はごくわずかだったと思います。※ちなみに自分の本命もゴーサインでした。結果は…ご存知のとおりです。

天皇賞ジャパンCでは最後の直線で手前を替えなかったのに、有馬記念の時は手前を替えたとか、後でいろいろと勝因が語られたりもしました。でもこのレースに関しては、そんな分析よりもオグリの精神力、魂の勝利とした方が美しいと思います。

大川慶次郎の実況を遮る『ライアン!!』の叫び声、興奮のあまり武豊の上げた手を間違えるアナウンサー、地鳴りのようなオグリコール…テレビ画面越しでもその興奮、喧騒が伝わってきたのを覚えてます。そういえば鈴木淑子アナが配当を伝える時に感動のあまり泣き崩れて、潮アナが伝えたんですよね。みんながみんな、それぞれの立場で感動を共有していたんだと思います。う~ん懐かしい。もし一度だけタイムスリップしてその場に居合わせることができるのなら、この日この時の有馬記念中山競馬場にいたかったなって思います。

オグリキャップの活躍した時期っていわゆるバブル絶頂期、まさに24時間戦えますか?の世界でした。当時はまだ学生でしたが、理不尽な拘束がいっぱいあったりして…。

 

『これ以上どう頑張ればいいの?』

 

そんな閉塞感にも似た空気が社会にはあったように思います。そんな時に、燃え尽きたかに見えたオグリキャップが見せた奇跡の復活劇。

 

『なんだ、俺らだってまだやれるじゃん』

 

学生、社会人問わずそんな風に自分に重ね合わせたりした人も多かったんじゃないかなぁ。競馬界を越えて一大ブームを巻き起こすことができたのは、単に強かったからではなく、そうした光と影のドラマがあったからでしょうし、その当時を体感できたことが自分にとっては大きな財産になっています。