from1987

一口馬主やPOG、レース予想など競馬の話題を中心に、自由気ままに綴ります。なお、一口馬主関連の記事はシルクホースクラブのHPに掲載されている情報であり、転載の許可を得ています。

ジャパンCといえば

思い返そうとすると、どうしても海外に追いつき、追い越せだった頃のジャパンCばかりになってしまいます。今や日本馬の勝利が当たり前となってしまいましたが、当時は日本馬の勝利が本当に貴重で、誇らしいものでした。もちろん同じGⅠ勝利としての価値が今と昔で変わるわけではありません。ただ、そこに帯びている熱が違ったのかな、と思います。
オグリキャップの世界レコード決着も捨てがたいのですが、今回はトウカイテイオーの復活勝利を取り上げたいと思います。
92年のジャパンC。先にも触れたように当時は海外優勢の時代。日本馬がどこまで通用するのか、日本vs海外の意識が今よりも強かったと思います。実際、日本馬のジャパンC制覇は父でもあるシンボリルドルフ以来遠ざかっていて、その間にはオグリキャップをはじめタマモクロスメジロマックイーンなど、錚々たるメンバーが敗れていました。
天皇賞・春、秋の不可解な連敗により、トウカイテイオーは5番人気まで評価を落としていました。とはいえ日本馬の中では最上位の評価。ちょっと信用しきれないけど、海外勢を打ち破れるとしたらこの馬しかいない、そんな不安と期待がよく表れていたと思います。自分はというと…まさにそのうちの一人でした。勝ってほしい願望、応援の意味を込めての◎でした。皐月賞、ダービーを制した8枠ピンク帽が吉兆のように思えて、ヒシマサルとの馬連本線に数点流していました。この頃の方が今よりも『思い』で馬券買ってましたね。若かったし、なんとなくうらやましかったりもします。
レースはというと、直線に入って堂々と抜け出してくるトウカイテイオーがいました。粘るナチュラリズムを最後は力でねじ伏せての勝利でした。ターフビジョンを見つめながら感じたこの時期ならではの乾いた空気とゴールの瞬間の喧騒が、なんとも言えませんでした。※福島競馬場のね。馬券をとった喜びよりも、トウカイテイオーの復活が嬉しくて…それで象徴的に覚えているのかもしれません。
気品溢れる美しい馬体に優雅な走り。見ているだけで惚れぼれとするような馬でした。でも、どこか繊細で儚げで…そしてハートの強い馬だったと思います。だからこそ何度も挫折しながら、その度に復活を果たすことができたんだと思うし、それがドラマにもつながったんだと思います。ジャパンCはそんなトウカイテイオーの復活第2章(第1章は産経大坂杯)でした。